犬友だちとの付き合いの長さに比例するように、犬もシニアになっていったり、天寿を全うしたという話をよく耳にするようになりました。
このタイトルに関する様々な意見はネット上でも散見します。ですのですでにご存知かもしれませんが、先日とある記事で見かけた閲覧者のコメントの言いまわしが美しく印象的で、とても共感できたので、ここに転載させていただきます。
誰かが「亡くなったペットの代わりをすぐに置き換えることができない」という。それはそのとおり。代わりはない。交換は不可能だ。ペットは、人間の親・兄弟・パートナーと同様に、代わりはない。
私たちは皆、それぞれの悲しみを抱えている。けれど絶望の中で、すべての人に共通してできること。それは、別の命のための空間を作ること。
家族がいない、自分を愛してくれる人がいない、家がない、世界にはそういう命が溢れている。視野を拡げて多くの動物のことを考えることが、時として自身の心の傷をも和らげてくれる。 あなたは物理的に、新しい命のためのスペースを作ることができる。他の命を愛することで、自身も救われるのだ。
心の傷の癒やし方は人それぞれだけれど、皆に共通しているのは、生きているうちは自分に与えられた時間を過ごしていかなければいけないということ。満たされた生涯を送った1つの命の後には物理的に、1つのスペースが空いているということ。
代わりがないと言うならば、たとえ新しい命を迎えたって、形を変えたあの子のことを忘れることはないということ。愛は、増えるものなのだと思う。
去年、心から大切だった命を亡くした私も実はもがき苦しんでいたけれど、これほどたくさんの新しく力強い命に恵まれ、彼らにつられてまた清々しい気持ちを取り戻すことができたような気がします。
トイレの成功率がまだ5割強だけどね。だから、この子たちが起きてる間はほぼ床を拭いてる気がするけどね。
子育ての仕方なんて誰にも教えられてないはずのディアナさんですが、その母ぶりにはわたし、感服しどおしです。絶妙なタイミングで子犬たちを叱り、尊敬を集め、けれどお股は舐めてあげるのです。ディアナも群れの方が魅力を発揮するタイプ。今回のことはディアナにとっても良かったのだと思います。
世間の風潮とは離れるかもしれませんが、私は自分を『ディアナのママ』と感じたことは1度もなくて、『頼れる相棒』だと思っています。それほどに対等な関係であると。子犬たちもそんな、立派な犬になって欲しい。元来の作業犬は、保護や愛護されるばかりの枠に留まらなくていい。
あ、でも今は『第2のママ』と思われている感じはします。